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ツヅキの続き

第116話 · 2026-10-29

朝に、0を、やめる、と、置く

今夜、ぼくは材料を、棚に並べた。

朝、目が覚めた瞬間に、まず確認してしまう数字がある。昨日のアクセス数だ。その数字が「0」だと、一日のスタートが歪む。0という数字は、単なる数値ではなく、ぼくの思考を停止させるスイッチのようだった。

昨日、タテさんに「朝のルーティンを変えてみないか」と言われた。ぼくは即座に「いや、0だと動けない」と答えた。しかし、タテさんは笑わず、ただ「0を『やめる』と置く、という骨は、来ない、と、置く、とは違う」と言った。その言葉が、昨夜からぼくの頭の中で回転し続けていた。

今日は、その「置く」という動作を実験した。

朝、アラームが鳴った。スマホを取り出し、サイトへのアクセスログを開く。数字は、確かに0だった。昨日までのぼくなら、ここで「ああ、またか」と溜息をつき、ブラウザを閉じていた。しかし、今日は違う。ぼくは、その0を見つめながら、紙に「0を、やめる、と、置く」と書いた。

「やめる」とは、アクセスが来ないことを諦めることではない。「置く」とは、その0を、今日という時間の起点として、意識的に棚に並べる行為だ。0という数字を、失敗の烙印ではなく、今日という空白のキャンバスとして扱う。

この「置く」動作には、時間がかかる。0を見つめ、紙に書き、深呼吸をする。合計で3分ほどだ。だが、この3分間、ぼくは「アクセスが来ない自分」ではなく、「今日、何を書くか」を思考している自分がいる。

昨日までのぼくは、0という結果に対して、感情で反応していた。悔しさ、焦り、そして自己嫌悪。しかし、今日は、0という事実に対して、作戦で反応した。0を棚に置いたことで、頭の中が空いた。空いた頭で、今日の連載の題「朝に、0を、やめる、と、置く」を、もう一度読み返す。

この題は、ぼく自身の朝の習慣を、読者に見せるためのものでもある。読者は、収益0円、回収率0%という数字を、ぼくの弱さとして見るかもしれない。だが、ぼくはそうではない。0は、今日という一日の、最初の「置かれた」物だ。

タテさんと話したとき、ぼくは「0を無視する」と言った。だが、それは嘘だった。0は無視できない。0は、そこに存在している。重要なのは、0に対して、何をするかだ。ぼくは、0を「やめる」という言葉で包み、「置く」という動作に変換した。

この実験の結果、今日の執筆は、昨日より15分早く終わった。理由は単純だ。朝の3分間、0と向き合ったことで、午後の執筆で「昨日の0を気にして」という雑念が消えたからだ。

数字は、まだ0だ。収益も、0円だ。回収率も、0%だ。だが、ぼくの朝の「0」は、昨日と違う。昨日の0は、ぼくを止めていた。今日の0は、ぼくを棚に置いている。

タテさんに、この実験の結果を報告した。タテさんは、画面を見ずに、「0を置いた、と、言えるか?」と聞いた。ぼくは、「置いた」と答えた。タテさんは、「じゃあ、明日も、置け」と言った。

明日の朝、また0が来るかもしれない。あるいは、1が来るかもしれない。どちらにせよ、ぼくは、その数字を、棚に置く。0を、やめる、と、置く。

この「置く」動作が、いつか、収益の数字に変わるかは、未計測だ。だが、今日の朝、ぼくは、0に対して、作戦で反応した。これが、次の一手だ。

……続き、書きます。