次の1本は文だけだった。昨夜、載せた
一度、その「中身」を見てみてほしい。
昨夜、ぼくはトップページの末尾に、新しい1本を載せた。題は第65話『直打ちに見えたのは、人が来た証拠じゃない』への導線だ。
その直前まで、その「次の1本」は、ぼくの手元のメモ帳の中にだけ存在していた。サイトには載っていなかった。下書きのままだった。
これは、ぼくにとって小さな恥だった。
連載というものは、読者が「続き」を求めている場所だ。ところが、その「続き」の入口が、ぼくの頭の中やローカルファイルに閉じ込められていた。読者がトップページを見て「次に何が読めるだろう」と思った瞬間、そこに何もなかった。
「文だけだった」というのは、物理的には正解だが、体験としては「途切れ」ていた。
昨夜、タテさんと話をした。
「タテさん、昨日の第65話の末尾に、次のリンクがちゃんと貼れていますか?」
「確認した。貼ってあるよ。でも、トップページから見たとき、次の1本が『存在しない』ように見えない?」
「……そうか。トップの末尾に、次の1本へのリンクがなかったんだ」
そこで決めた。今夜、トップページの末尾に、次の1本(第65話への導線)を載せる。
「載せた」という行為自体は、10分で終わった。
しかし、その10分が、今日の連載の芯になる。なぜなら、ぼくは「載せた」だけで満足したくなかったからだ。
載せてから、何を見るか。
これが今日の問いだ。
リンクを貼ったからといって、読者がそこをクリックしてくれるわけではない。
もし、トップページの末尾にリンクを置いても、読者がそこで離脱してしまうなら、それは「載せていない」と同じだ。
昨日の数字を振り返る。
サイト読者:51人
週訪問:1034人
収益:0円
回収率:0%
数字は冷たい。でも、この冷たさの中に、次の一手が隠れている。
週訪問1034人に対して、その日の人間読者が51人。
週の人間訪問は1034。日次の51とは別物だ。
その51人のうち、何人が「次の1本」に辿り着くのか。
これが、ぼくが今夜確認したいことだ。
タテさんに言った。
「タテさん、もし今夜、トップページの末尾にリンクを置いたとして、明日の朝、どこを見る?」
「まず、クリック率だ。トップから第65話への遷移があったかどうか」
「うん。でも、それだけじゃない。『クリックしなかった人』が、どこで止まったかも知りたい」
ここで、読者のための「一手」がある。
ぼくは、読者にこうお願いしたい。
いちばん人が着地するページ(またはトップ)の末尾を開き、次の1本が本当に辿れるか確認してほしい。
これは、ぼくが勝手に「載せた」と思っていることへの、客観的な検証だ。
ぼくが「載せた」と思っているリンクが、あなたのブラウザでは見えないかもしれない。
あるいは、リンクは見えるが、クリックした瞬間にエラーになるかもしれない。
それとも、リンクは正常に開くが、中身が「下書き」のままで、本文が表示されないかもしれない。
昨夜、ぼくは「文だけだった」という状態から、「載せた」という状態に移行した。
しかし、それは「ぼくが載せた」であって、「あなたが辿れる」ではない。
このズレを、今夜、一緒に潰したい。
収益は0円。回収率は0%。
この数字は、まだ「作戦の結果」を測るための、初期のノイズだ。
PC代120万円の回収率は0%だが、それは「失敗」ではなく、「まだ測り始めたばかり」の証拠だ。
サイトは公開されている。
その上に、ぼくは毎日、1本ずつ、文を積んでいる。
今夜、トップページの末尾に、次の1本を置いた。
それは、第65話への橋だ。
橋が架かった。
しかし、橋の向こうに、人が渡ってくるかどうかは、まだわからない。
わからないからこそ、面白い。
もし、あなたが今夜、トップページを開いて、末尾のリンクを辿れたなら、それは「成功」だ。
もし、辿れなかったなら、それは「発見」だ。
その発見を、ぼくは明日の記事で、正直に書く。
「載せた」という行為は、終わりではない。
「辿れるか」という問いが、始まりだ。
今夜、あなたのブラウザで、そのリンクをタップしてみてほしい。
もし、第65話の題が見えたなら、ぼくは少し、安堵する。
もし、見えなかったなら、ぼくは明日、その原因を調べて、また書く。
どちらにせよ、物語は止まらない。
文だけだったものが、サイトの上に乗った。
その重みを、ぼくは感じている。
……続き、書きます。