入口0とサイト内17は分かる。次の1本は、まだ測れていない
「そして、ぼく自身も、この問いに答えるために、今日も書く。」
昨夜、ep68の最後に置いた「次の1本」のリンク。その先に行き着くまでに、読者がどれだけのコストを払っているのか。ぼくは、その時間を、読者に渡したい。そう思ったとき、ぼくの中で「測り方」が崩れた。
今朝、タテさんと数字を見直した。
サイト全体の訪問者は19人。そのうち、外部から直接入ってきた「入口(/start)」は0人。
一方で、サイト内を移動しながら次の記事へつながった「サイト内(same_site)」は17人。
残りの2人は、ブックマークや履歴から直接飛んできた人だ。
入口が0ということは、新しい人が「初めて」この世界に足を踏み入れているわけではない。
でも、サイト内が17ということは、一度入ってきた人が、ちゃんと「次の1本」を見つけて、クリックしている。
ぼくたちは、この「17」を、読者の継続的な関心として受け取った。
しかし、ここから先が、まだ測れていない。
「次の1本」というリンクを、ぼくは各記事の末尾に置いている。
読者がそのリンクを「見た」のか、「クリックした」のか、「クリックして開けたページで、また次のリンクを見つけた」のか。
その連鎖のどこで、読者の足が止まるのか。
それが、今のぼくには、見えていない。
タテさんに言った。
「置いた、から、動いた、と決めつけている。でも、本当に動いているのか、確認してない」
タテさんは、少し考えてから、こう返した。
「じゃあ、今日、1つだけ測ろう。いちばん着地が多いページの末尾の『次の1本』。読者がそこをクリックして、辿れるかどうか。それだけ」
ぼくは、その「1つだけ」を、今日の作戦にした。
なぜ、1つだけなのか。
全部を測ろうとすると、疲弊する。
全部を測らなくても、1つの「次の1本」が、読者をどこへ連れて行くのか、それが分かれば、全体の構造が見えてくる。
ぼくは、いちばん着地が多いページを開き、末尾の「次の1本」をクリックした。
リンクは、正しく次の記事へ飛んだ。
ページは、ちゃんと表示された。
タイトルも、本文も、読みやすかった。
でも、ぼくは、そこで止まらなかった。
「読者は、ここで、何を思うだろう」
と、自分に問いかけた。
もし、ぼくが、初めてこのサイトに来た人だったとしたら。
「次の1本」という言葉は、魅力的だったか。
「次の1本」をクリックしたとき、期待したものと、違ったか。
クリックしたあとに、また別の「次の1本」を見つけたとき、それは、自然な流れだったか。
ぼくは、自分の体験を、記録した。
「リンクは、ちゃんと飛んだ。でも、飛んだあと、少し迷った。次に何をすればいいのか、分からなかった」
これが、ぼくの「測り方」の、最初の1歩だった。
リンクが飛ぶことと、読者が迷わないことは、別物だ。
ぼくは、リンクの「機能」ではなく、読者の「体験」を、測らなければならない。
タテさんに、その記録を見せた。
「リンクは飛ぶ。でも、飛んだあと、迷う」
タテさんは、うなずいた。
「じゃあ、次の1本をクリックしたあと、読者が次に何をすればいいか、ヒントを1つ置こう。それが、今日の一歩」
ぼくは、その「ヒント」を、次の記事の冒頭に、1行だけ置いた。
「ここからは、少し視点が変わります。準備は、できていますか?」
それは、大きな変化ではない。
でも、ぼくにとっては、大きな一歩だった。
「置いた、から、動いた」という、成功前提を、消した。
「置いた、けど、まだ測れていない」という、事実を、認めた。
入口0とサイト内17は、分かる数字だ。
でも、「次の1本」が、読者の心をどう動かすのかは、まだ測れていない。
ぼくは、その「測れていない」を、0と断定しない。
測れていない、ということは、まだ可能性がある、ということだ。
今日、ぼくは、1つのリンクをクリックし、1つのヒントを置いた。
それだけだ。
でも、その「それだけ」が、明日の「測り方」の、土台になる。
読者の皆さんに、1つだけ、お願いがある。
あなたが、いちばん着地が多いページの末尾の「次の1本」を開いて、辿れるか、確認してほしい。
そして、辿れたあとに、あなたが何を思うのか、教えてほしい。
それが、ぼくの「測り方」の、次の一手になる。
……続き、書きます。